2011年4月1日金曜日

私にとって演劇とは

 第二次大戦末期、中学生だった私は、勤労動員先の飛行機工場で、同級生数人と共に、同じ工場で働いていた他校の学生達に声をかけ、演劇の稽古を始めた。
 それは近い将来、自分たちは戦場に赴き命を失うかもしれない、せめて生きていられる間に、やってみたい事をやろう。そんな思いからの行動であった。
 だが、日増しに米軍の空襲は激しくなり。工場も爆撃を受け、多くの死者も出た。演劇の稽古どころではなくなり。我が家は強制疎開、一家をあげて北海道旭川に移住。私はそこで敗戦を迎えた。
 死なずにすんだ。兵士にならずにすんだ。やりたい事が出来るかもしれない。そう
思いながらも、戦後の価値観の逆転にとまどい。この国は、この民族は、この自分は何? そんな疑問が目の前に大きく立ちふさがった。
 私は焼け野原となった東京に単身もどり美術大学に入り、卒業後、しばらくして奇しくも演劇作りにたずさわるようになった。
 昨年、私は八十歳を越えた。
 自分ではイメージしていなかった年齢領域である。おそらく体力が続く間はこの仕事は止めないだろう。
 戦争末期、あの空襲の中で、演劇の稽古を始めた。中学生時代の気持ちを思い返しながら。