2011年7月22日金曜日

再生作業としての演劇行為 その1

~仮面・人形・からだ~ 北方文化フォーラムより2005年4月15日

 札幌大学の前学長、山口昌男先生にはいろいろとお世話になりました。私の作ってきた芝居に大変興味を持たれて、私達の船劇場公演にも足を運んでいただき、紹介記事や評を書いていただいたり、シンポジウムなどにも出席していただきました。
 今回、私は初めてこの大学に来たのですが、とても美しく、設備も整っているのを見て、たいへんうらやましく思いました。それは、私が通っていた大学(芸大)が古く、汚かったせいかもしれません。学校へ住み着いている人なんかもいたりして、昼間から寝巻きでウロウロしているような学校でしたから、大学は汚いところだという先入観念があったからかもしれません。こんな場所で毎日勉強できる皆さんをうらやましく思います。ぜひしっかり勉強をして下さい。(笑)

 さて、私がやっている舞台の仕事は、映像作品や本などと違って、ともかく劇場に足を運んでいただかないと、そのイメージやメッセージは伝わりません。でもそれだからこそ、舞台表現の持つ力や魅力はテレビや映画がこれだけ発展してもまだ十分に意味があり、重要だと考えています。ともかく舞台を観ていない方に、その面白さを伝えることの難しさはありますが、今日はなんとか皆さんに理解していただけるように努力してみます。

 私がかかわり、作っている芝居は、おそらく普段皆さんが観ているものと違っているのではないでしょうか。それは仮面を使った芝居だからです。たとえば古典の能や狂言では仮面を使います、しかし現代劇で、仮面を使った舞台を上演しているところはほとんどありません。

第二回 *仮面とは に続く。