2011年8月21日日曜日

再生作業としての演劇行為 その4

第四回~様々な仮面

 ここには私のオリジナルの仮面もありますが、これはコメディア・デラルテで使用される仮面です。作者はイタリアの仮面作家の第一人者、サルトーリさんの手になるものです。
 イタリアは皮の加工技術がとても優れていて、イタリア製の靴やかばんなどは皆さんもよく御存じでしょう。コメディア・デラルテはギリシャ劇の流れをくむものですが、ギリシャ劇で使われていた仮面は恐らく皮製ではなく。ギリシャの時代に使用された仮面は残っていません。絵とか彫刻などに残っているようですが、現物は無いので、何で作っていたかよくわからないようです。
 このコメディア・デラルテの仮面は、一度イタリアでも途絶えていたものを、新たにストレールによって、こうした技法で作り出されたものです。
 皆さんもよく御存じのピエロ、これもコメディア・デラルテの道化役がフランスに行き、今のような形になったと言われております。鼻の頭にあの赤いピンポン玉のようなものをつけます。おそらくこれは世界で一番小さい仮面かもしれません。
 さて次ぎは日本の能面ですが、今日私が持って来たのは、おそらく日本にただ一つしかない能面の半面です。これは北沢三次郎さんとおっしゃる能面打ちの方が、私の仮面劇を見て、試作として作って、私に下さったものです。
 日本には古くから仮面劇はありますが、半面、つまり鼻の下が無く、演者の口が見えているものは見かけません。ではなぜ半面が作られたのか、それは言葉を、セリフをたくさん言うためです。半面は、さっきのコメディア・デラルテ、それからインドネシアのバリ島の物に多く見られます。
 レッスンの中で、こうしたコメディア・デラルテの仮面や能面を使うことはできますが、どこかギコチない。なんとなくイタリア人のような動きになり、両手を広げて「Oh!」なんてなったり、能面だと、構えて、スリ足まではしないまでも、何となく習ったこともない能風になったりしてしまう。
 身体表現というものは、その民族の持つ身振りや約束事が出てきます。身体表現はそうしたものから逃れられないようです。
 私がかつで、フランスの演出家ピーター・ブルックの所で俳優をやっているヨシ・笈田君達と一緒にカナダ、アメリカ、オランダ、フランスなどで、現地の人達とのワークショップと公演をして廻ったことがあったのですが、その民族や国によって、ただ立つということが、こんなに違うのかと改めて思ったことがありました。日本人の場合は「ただ立って下さい」と言うと、体全体を正面に向け、足を少し開き、両手をやや構えたように下げます。ヨーロッパ系の人達、たとえばフランス人の俳優さんは、やや斜めに構え、足を少し前後に開いて立ちます。アメリカの人だと、体全体から力を抜き、少し肩を落としぎみに立ちます。身体というものは、やはりこうしたものが埋め込まれていて、それぞれの文化を表すものだと気付きました。

第五回~様々な仮面 その2 へ続く

2011年8月7日日曜日

再生作業としての演劇行為 その3

第三回~仮面を私はなぜ使い始めたか――身体性の回復――

 普通の俳優さんは仮面をつけることをあまり好みません。それに仮面をつけてしまっては、俳優さんとして顔が売れませんからね。まあ、それは冗談として、戦後しばらくして私が演劇にたずさわるようになったのは、アングラ演劇と呼ばれるものが盛んになった頃です。一九六〇年から七〇年、その頃若い俳優達、その多くは大学生や大学出たての、何も訓練など受けたことのない若者達でした。言葉だけでなく、からだを使って表現することもそれなりに訓練が必要ですが、そう簡単ではありません。その頃の演劇は表現技術の訓練より、運動としての演劇、新劇へのアンチテーゼとしての演劇という考えが強かった。たとえば「黒テント」――今でも活動を続けている、アングラ劇を代表する劇団ですが――その劇団の入団のためのオーディションでは、「君のセクトは?」「はい、僕は革マルです」などという言葉が行き交った時代です。そうした若者達にどうやって身体表現能力を持たせることが出来るか、その中で考えついたのが仮面でした。そしてその基礎となったのが、パリーにあったルコック演劇研究所における、ルコック・システムで行われていた仮面のレッスンでした。そこで使われていたコメディア・デラルテの道化、仮面を使った道化の表現のためのメソッドでした。幸い、ルコックの研究所に留学して帰国した人もいて、その人達と一緒に仮面のレッスンをするようになりました。これが最初に、私が仮面を使い始めたきっかけとなったのです。
 たとえば中性面という、キャラクターのないものとして作られた仮面をつけ、焔となる――体内に火種が生まれ、少しずつ体全体に焔がひろがり、あたりまで焼きつくし、燃え尽きるまでを表現するのですが、人によってはトランスしてしまうところまで行ってしまう。まあそれだけ仮面をつけることにより、解放される訳です。しかしトランスしてしまっては表現にならなくなってしまうので、その一歩手前で止まり、全身を使って焔を表します。こうした中で、それまでに自分を縛っていたもの、習慣や拘束されてきたものから解放されるレッスンをしたわけです。
 レッスンと言いますと、何か決まったやり方を訓練して覚えてゆくことかと考えがちですが、このレッスンは、それまでその人に染みついてしまっている教育や既成概念を取り払うこと、そして身体表現の幅や、新鮮さを発見することに、仮面は役立ったのです。しかしこれだけでは仮面を使って具体的な作品を表現するには至りません。一度解放したところから、表現することへの道を探ってゆくのです。この表現を具体化してゆく中で、私達の歴史性や自然観を見つけ、私達なりの現代仮面劇を発見してゆくのです。
 そこで、仮面の造形性、物語の選択などが重要になり、その結果、自分でも仮面を作ったり、アジアの仮面劇の勉強も必要になってゆきました。


第四回~様々な仮面  に続く

2011年8月5日金曜日

再生作業としての演劇行為 その2

第二回~仮面とは

 では仮面とはなんなのでしょう。
 仮面は人類が文明を持ったときからあったと言われ、非常に古くから使われてきました。
 では、どのような理由で人は仮面を作り、付け、何を表現しようとしたのでしょうか。
 古くは宗教的な儀式や祭りに使われたのが始めだと思いますが、たとえばアフリカなどでは裁判にも使われたようです。ひとつは共同体の中で「誰かが鶏を盗んだ」とすると、その罪を問わなければならない。こういうことが起きてきたときに、長老が仮面をつけて、村の人たちは輪になって踊りはじめる。するとあるところで長老が神がかりして――神様が自分にのりうつって――ばったりと倒れるわけです。すると仮面についている角の先が触れるわけですが、その触れた人が犯人だということになる。これはぜんぜん偶然ではなくて、長老は村のことをよく知っています。それではなぜそのようなことをしたのかというと、この裁判の結果は神が決めたものだ、神が見ていたものだという考え方をとっていたからだと思います。
 それから日本にも古い行事の中で「なまはげ」というものがあります。東北の方はよくご存知かと思います。これはお正月ですか、近所のおじさんが仮面をつけて出てきて「勉強しろ!」「親の言うことを聞け!」と言うわけですね。すると子供はわんわん泣いて言うことを聞く。おじさんがそのまま出てきたのでは言うことを聞かないけれども、仮面をつけると子供はそれに恐怖をおぼえて言うことを聞く。つけている方もその気になる。そういう両面があるわけです。ものに変身する、扮するという一番端的な手法としては、仮面というものが便利なわけです。仮面をつけると、一種の神がかり状態に近付いていくということがあるわけですね。
 また演劇的なものとしては、たとえばギリシャ劇などでは神々を描く。ギリシャには野外劇場があって、王様から一般市民までがそこに集まって、ギリシャ神話の世界、ギリシャ神話の中の物語を、仮面をつけてコロスが中心になって――コロスというのはコーラスですね――、人数が決められていて仮面を換えながらされていたようです。そういうのが、演劇の芸術として形になったものとしては最初だったわけです。
 そのほかにも、世界にはいろいろな発祥があります。
 日本にも能というものが生まれる前には、神楽だとか田楽といったものがある。神楽も鬼の面をつけ、ヤマトタケルの神様が仮面をつけて出てくる。そういったものが今でも行われているわけです。昔の共同体では人々のいとなみの中で仮面というものは使われていた。こうしてみますと、仮面を使った演劇的表現の方が古く、今私達が演劇と呼んでいるもの、心理劇などは新しいものであり、演劇のルーツは仮面劇だと言えます。
 しかし近代社会においては、舞台に神々や魔もの、動物や植物などが登場する、祝祭性の強い演劇はあまり重視されなくなり、人間中心の演劇が主流となり、仮面を使用するものは少なくなってきました。たとえば、ホームドラマ「渡る世間は鬼ばかり」を仮面をつけてやるわけにはゆきません。それはチェーホフ作品についてもしかりです。
 しかし一方では、我が国で能、狂言や神楽が今でも上演されていますように、主にアジア各地、インドやインドネシア、中国、韓国などでも、仮面劇や仮面舞踊は、昔ほど盛んだとは言えませんが、上演されています。
 では仮面を使うことでどんな面白さや利点があるのでしょうか。まず顔につけただけで、一瞬にして神や魔物、動物になれる。それは観客だけではなく、演じる人間もその気になれるのです。顔を隠す行為は、たとえばサングラスをかけたり化粧をすることで、私達は気分が変り、大胆になったりします。
 そのように仮面は変身のためのより便利な小道具であり、日常的ではないもの、見たこともないような世界を表現することに非常に適している。ある人物なり、神や精霊との一体感を、演ずる側も、見る側も体験できるわけです。そして、そには見えないものを見ることができ、優れた仮面と優れた演者によって、神話や童話がリアリティーを持って観る人に迫ってくるのです。俳優の個人が消え、物語世界を出現させることが可能になるのです。
 しかし近代劇において、仮面を使用することはほとんど無くなってしまいました。さっきも申し上げたようにチェーホフでは仮面が必要ではなくなったのです。近代劇は仮面を排除する方向に行ったわけです。それは人間中心のドラマが主流となり、俳優の表現する方向も大きく変ったのです。
 しかし戦後になり、ヨーロッパを中心とした演劇の中で再び仮面を見直す動きが生まれてきました。そして俳優レッスンの中でも仮面が使われるようになりました。
 では、なぜ仮面をつけての表現を見直すようになったのでしょうか。
 それはやはり「近代」社会、近代における人間観や自然を見直そうとする意識の中から生まれてきたのだと思います。科学の発達、物質文明、一種の合理主義――そういうものの中で、人間が本来持っていた、たとえば呪術性であったり、神秘性であったり、それから身体性をもう一度取り戻す、からだに埋め込まれた潜在性とか連続性といったものが、演劇などでも問われるようになってきたわけです。
 最近ある建築家のこんな言葉を読みました。バウハウス――これは一九一九年、建築家のグロビウスが中心となってドイツに生まれた芸術学校で、機械技術と芸術の総合を理想とし、その教授の中にはポール・クレーやカンディンスキーなどがいて、近代芸術の展開に大きな影響を与えたのですが――そのバウハウスの運動の中で欠けていたものは、自然と歴史であったと言っております。演劇において自然や歴史、物語性を取り戻す、そのために身体性を見直す、そんな気運が強くなり、我が国の能やインドの古典芸能、インドネシアの仮面劇、イタリアにあったコメディア・デラルテ(ギリシャ劇から生まれた仮面喜劇)などが見直されるようになったのです。


第三回~仮面を私はなぜ使い始めたか――身体性の回復――
に続く