2011年12月2日金曜日

音と言葉の身体 その6

第六回 賢治の日本語

遠藤
現代作家のものでいえば私が、四つに組めるのは宮澤賢治。あの人の文体、文章がもっている力は連綿と続いてきた日本語の力、身体化できる言葉を持っています。近代文学の枠からはずれた力を持っていますよね。ですから彼が詩や童話、童話ともちょっと違うかな。

――ちょっとね。

遠藤
小説を書かず、ああいう世界を書いたということは、土着性というものとも違いますね。宗教性、とか自然観とか

――宇宙とか

遠藤
そうそう、そうしたものと四つに組んで、詩的な言葉、イメージを巧みに使いながら物語を書いた。賢治は呼吸化し身体化してゆくには一番手ごたえのある作家かもしれませんね。

――近代作家のなかでは

遠藤
ええ。

――いままで賢治の「セロ弾きのゴーシュ」「ペンネンネンネンネン・ネネムの伝記」を遠藤演出の舞台で観ましたが、今度はなんなのでしょう。楽しみにしています。今日は長いことありがとうございました。


音と言葉の身体 終り

劇作家・演出家 遠藤啄郎
聞き手       山本 掌
雑誌『月球儀』記載記事より

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