2011年5月3日火曜日

場の持つ力 その1 均一化してゆく都市や劇場

昨年(1995年)の十二月一日、私は十勝環境ラボラトリー「国際環境大学公開講座」に講師として呼ばれ、“劇場その「場」の持つ力”のテーマで話すことになり、四十五年ぶりに帯広の街を訪れた。
四十五年前、その頃私は画家になることを目指していたから、その旅はスケッチ旅行で、たしか帯広から然別湖に向かったと記憶している。
今回十勝環境ラボラトリーの専務、坂本和明さんに帯広の街を案内していただいたのだが、残念なことに、かつて訪れた時の街の面影を何一つ見出すことはできなかった。四十五年、この年月を長いと考えるか、短いと考えるかはひとそれぞれだろうが、ともかく私にとって帯広は未知の場所に変貌してそこにあった。
今回の北海道行きには、もう一つ別の目的があり、劇団横浜ボートシアターの私が演出した、仮面劇「小栗判官・照手姫」の遠別、美深、鷹栖、大樹などの小さな町での上演の為であった。各町の上演会場はすべて公共の会館で、入場者四、五百名、建造されてまだ二、三年の新しい会館である。
それぞれの会場で上演しながら気付かされたことだが、大きさや、多少の舞台機構の違いはあるにしても、なぜこれほどまでに似かよった無機質でガランドウの劇場が各地に作られてしまったのでだろうか、改めて考えさせられてしまった。
四十五年ぶりに訪れた帯広の街も、これといって特色のある家並みや、ふと足を止めて中に入りたくなるそんな建物に出会うことも無く、日本中どこにでもある新興の街が持つ、あのしらじらしい風景と変わりない。遠別から大樹までの移動中の、車窓から眺めた町並みや建物も、帯広の街が私に与えた印象と大差はなかった。
しかし、こうした現象は北海道だけに限ったことではあるまい。日本各地、年々地域の差は無くなり、歴史性も遠のき、無機質な均一化に進んでゆく様子は不気味でさえある。
今度の旅の途中、私は旭川の街で、凍りついた道路の上を二人の若い女性が、茶髪、ミニスカート、厚底靴で滑って転ばぬよう、お互いに手をとりながら、必死で歩く姿を見かけた。その寒々しい様子は涙ぐましくも滑稽で、私が以前或る東南アジアの熱帯の国を訪れた時に聞いた次のような話を思い出していた。その国の大統領夫人が、冷房をガンガンにきかせた会場に、高価な毛皮をまとった女性たちを集め、毛皮パーティーを開催しているというのだ。二年後その国の大統領は夫人とともに国外に逃亡した。
確かにオシャレは流行を追いかけたい気持ちと、人とは違うものをという二つの相反する意思を持つ。しかし旭川の少女と毛皮の大統領夫人の行為から私が感じるものは、場所柄の無視、創造力の欠如であり、ともかく、ダサイと思うのだが…。

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