2011年5月29日日曜日

場の持つ力 その2―ジャワの劇場プンドボ

 二十年来の友人でバリ島を代表する舞踊家の彼が、私にこんな事を言った。
 彼はアメリカやヨーロッパ、我が国でも多くの公演を体験している。「外国の劇場で踊るのはあまり好きじゃない、そこには月も星もなく、風も吹かないからだ。」
 彼等の踊りや音楽(ガムラン)は本来、寺院の広場やワンテランと呼ばれる、屋根だけの吹き抜けの建物の中で上演される。そのワンテランは私にとっても忘れ難い場所だ。それは四年ほど前、同じインドネシアのジャワ島の真ん中にある古都ジョクジャカルタの「プンドボ」(バリのワンテランと同じスタイルの建物のジャワ名)で、「場」の持つ力を強く感じる貴重な体験を持った事があるからだ。バリのワンテランとジャワのプンドボは多少の違いはあるが、基本の構造は同じである。
 その公演は我が国の国際交流基金の主催事業の一つとして行われた。私達の劇団、横浜ボートシアターの出演者九名と、インドネシア国立芸術大学の舞踊、演劇、音楽の先生方十名との合同公演で、インドネシア公演では芸大の学生達も多数参加した。
 上演作品は私の脚本、演出で題名は「耳の王子」、内容はマハーバーラタがジャワに伝わり、ン外年月の中でジャワ独自の世界観を持った神話として定着。そのジャワ版マハーバーラタに登場し、弟アルジュノと戦い命を失う悲運の王子カルノと、敗戦をインドネシアで迎え、その混乱の中で祖国を捨て、インドネシア独立軍に参加、オランダ、イギリス軍と戦い死んでいった残留日本兵の悲劇を重ね合わせ、私達にとって国家や民族、家族とは何か、そのはざまで無念の死を迎えた多くの死者達への鎮魂を願う、そんな作品内容であった。
 神話の中の登場人物や、戦死した日本兵には仮面を使用、舞踊あり、生演奏ありの二時間の芝居である。
 「耳の王子」はまず東京、横浜で上演し、その三ヵ月後芸大の所在地である人口二百九十万の街ジョクジャカルタで最終公演を迎えることになっていた。
 私は日本での上演に強い不満が残っていたが、その原因が何であるか答えを出せないままインドネシアに向かった。
 ジャワは雨季の真只中で、刻々と変化する空模様はいつ豪雨を降らせ、上演を中止させてしまうか、そんな不安の中で稽古が進み、日本から行ったメンバーは慣れない気候に、次々に体調を崩していった。
 街の中心部にある王宮広場を横切り、背の低い民家が並ぶ狭い路地を抜け、屋根のある門をくぐると、小学校の運動場ほどある広場の中央に、稽古場であり上演場所でもあるそのプンドボは建っていた。ここは百年ほど前、王宮用の建物として造られ、結婚式や舞踊や音楽の演奏会場として使用されていたが、今は公民館として芸大の学生達の稽古や町の人達のガムランの稽古や演奏会場に使用されているようだ。
 そのプンドボは奥行き三十メートル、幅二十メートルの大きさで、屋根を支える大小の木の柱と石の床だけの建物で、ロビーも無ければ舞台照明設備や音響設備、楽屋もなかった。


(注)この文章は以前、十勝毎日新聞に掲載された文章です。

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