2011年11月13日日曜日

再生作業としての演劇行為 その7

第7回 仮面劇『小栗判官照手姫』――死と再生の物語

この物語をもとにして作られたのが仮面劇『小栗判官照手姫』です。
『小栗』を作るにあたり、仮面だけでなく、衣装や音楽につていてもいろいろな工夫をしました。衣装では、日本の時代劇なのですが、和服を使うことを避けました。なぜかと言いますと、和服の場合、身体表現に限界があります。たとえば女性が和服では足を思いっきり上げられません。だからと言ってズボンやタイツ姿では様になりません。どこかに我が国の伝統性を感じさせ、豪華さや優雅さを出すために、時間をかけて集めておいたアンティックの丸帯や布などを使い、シルエットは東南アジア、たとえばジャワ風やバリ島風のスタイルを取り入れたりしました。
音楽も邦楽器などの使用を避け、アジア各地の打楽器や笛、弦楽器などと、創作楽器、竹製のマリンバやフライパンで作った楽器などを使い、どこか特定の民族や地域が出ないように心がけました。
ちなみにセリフ、言葉はできるだけ原文を生かすように台本を作りました。小栗の言葉は、もともと語るための文体として書かれたものですから、その力強い日本語の語感を失わないように心掛けたのです。だからと言って、歌舞伎調でもなく、能や狂言風に表現したわけでもありません。今の私達でも演じられるセリフづくりを行いました。このような作業を積み重ねて舞台化したため、その準備や稽古は、そうですね。はっきり覚えてはいませんが、五年ほどかかったかもしれません。
このお話はどこの民族にも残る死と再生の物語であり、男が一人前の人間として成人する、その支えとなった照手姫の物語としても読み取ることができます。また、熊野は日本民族にとって長い間聖地としてあがめられた場所であり、餓鬼はハンセン氏病、ライ者をイメージすることができます。
この芝居をイギリスで上演した時、或る評論家が「この物語は、戦の男神と愛の女神の物語であり、最後に愛の女神が勝利する」と説明していました。
私にとってこの物語は、仮面劇にするにはまたとない題材であり、再生としての演劇にはうってつけの題材でした。
この『小栗』を一番最近海外で公演したのは二〇〇三年、ルーマニア、そしてモルドバの国立劇場でした。その時にモルドバの『文化と芸術』という新聞に掲載された、女性の記者でジュリアナ・アルマッシュという方が書いたものを紹介させていただきます。

「今回のヴィジェーヌ・イヨネスコ演劇祭(世界的に有名な前衛演劇作家の名前をつけた演劇祭)の中で私が特に観たかったものは日本の劇団の舞台であった。なぜならば何か新しいものを見せてくれる、ヨーロッパの舞台とは違うものが観られるからである。私の考えは間違ってはいなかった。本年五月二八日、キシノウ(モルドヴァの首都)の国立劇場の舞台には、神話と現実、混沌と秩序、暴力と優しさ、死と生命、魂とその物質的反応が調和を壊すことなく、偉大な日本の神秘とともにハーモニーを維持して共存するという、オリジナルな舞台が展開された。
この『小栗判官照手姫』は、“横浜ボートシアター”によって演じられた。この劇団は横浜港に浮ぶボートで(当初は木製、その後鋼鉄製)活動を展開しており、その名がついている。台本のテーマは古い物語をベースにしているが、演出家遠藤啄郎の優れた才能によってさまざまな神話的要素を取り入れている。
卓越した技能は仮面(これも同じく遠藤啄郎の手になる)にも示されているが、これは日本の伝統演劇には欠かせないものである。この伝統演劇は、われわれヨーロッパ人にはモダンでしかないのだが。こうして『小栗』は三つの姿を現す。生・死・復活である。さらに、おそらく演出家としては、少人数の俳優でこれだけ大きな舞台を演ずることを可能にする節約の精神もあったのではないか。
舞台の上に映し出されたルーマニア語のテキストのおかげで、疑問に思う点の細部まで理解できた。物語は、各部分ともに登場人物の一人によって語られる形をとっている。物語はすばらしい語りの行為によって、あたかも存在するように私は感じることができた。おそらく他のすべての人もそう感じたであろう。これは、あたかも「まず初めに語りありき」という思想、あるいはモダンな表現ではデカルトの「私は語っているのだから、存在する(我、思う故に我有り)」という考えにいたる。この日本的範例は、(ポスト)モダン哲学の理論が完全に押しつぶされてしまうものであり、われわれに再び深遠なメッセージの解読を求めている。この意味でこの舞台の本質は、その主題にあるのではなく「いかに語られているか」、あるいは「いかに語られるか」にあると思われるのである。すなわち『小栗判官照手姫』の舞台では、完全にすべての要素が一つの言語に記号化されている(ほとんどテキストの必要がないほど)、照明、舞台装置、舞、音楽(日本の伝統芸術に適合させた特別な楽器)もそうであり、これは必ずしも解読を要求しない、理解されるものである。この言語は、日本の文字同様にただわれわれを魅了するばかりである。マジック・ショーのような雰囲気の中で、現実にわずかに傾斜しているような、あるいはその反対のような感覚がする。ここでは観客は、ヨーロッパの演出家によって劇化されたほとんどの舞台で起こるような、疑似体験は求められないように思う。あたかも現実の檻から解き放たれた心地よい快感が最後に残る、旅に連れ出されたようである。もちろんすぐにもとの場所に戻ることはわかっているものの(観客も製作者も同様に)、しかし、数時間でも昔の神話の世界に浸ることができたこと、そしてこの先別の世界もあり得るのだと知りつつ、囚われの身で居続けることに耐えることは、はるかに容易なものとなる。
日本の舞台は、矛盾の共存を完璧なまでに印象付ける。たとえば暴力は、武道によって表現されるのだが、われわれには優しさ、柔軟性に映る。また恐ろしい事態が展開するのだが、それは悲劇というよりも明るさをもっているのである。
『小栗判官照手姫』は、横浜ボートシアターによって一九八二年に初演されたが、演出家の遠藤啄郎は、その後も彫刻のように常により良いものを追及してきた。当然ながら、この努力は多くの賞によって報われてきた。また、エジンバラ、ニューヨーク、インドネシア、香港、シンガポールなどの国際演劇・芸術祭にも招待されている。「ボートシアター」は日本の伝統とギリシャ、インド、中国などのあらゆる神話の遺産を取り入れて舞台化した数少ない劇団の一つである。過去と歴史的想像の復興は、このすばらしい俳優たちの集団の成功をより大きなものとすることであろう。文化の再構築、まず何よりも古代の再発見を試みているヨーロッパでは、特にそうであろう。演出家の言葉によれば、演劇は人間との原始的なコミュニケーションの形態であるのだが、ヴィジェーヌ・イヨネスコ演劇祭で今後も日本の演劇と生で再び出会えるまで、少なくともこの形態を維持することを望んで止まない。」

もう一つ、やはりモルドバからメールで送られてきたファンレターを紹介します。

アブラモヴァラ氏よりのEメール 2003・5・29

「親愛なる友達
私は今、この手紙を遠いモルドバから書いています。しかし、昨日あなた方の劇団の俳優達のすばらしい演技を観てから、もはや遠い国ではなくなったような気がしています。あなた方の昨晩の公演に、心から「有難うございました」と申し上げたいと思います。それは私自身の内なる世界を覆すものでした。実際日本の文化は世界中で最も興味深く、ユニークな文化だと思っておりました。しかし(夕べの公演を観るまでは)日本人があのように素直で、美しく、尊厳を持っている人達だとは思っておりませんでした。
昨日の演劇は『小栗判官照手姫』というものでした。才能豊かな俳優達のすばらしい演技、音楽家や衣装デザイナーの素晴らしい仕事、そしてこの仮面劇の全体を創られたと伺っている遠藤啄郎氏の力量に感嘆いたしました。
この演劇に関っておられる全ての素晴らしい方々に感謝します。本当に見事な公演でした。この広い世界で私達を結びつけてくれたこの公演を、私は生涯忘れることはないでしょう。過去を尊重し、現在を賞賛し、そして未来に思いをはせ、そしてその全てをあらゆる人と分かち合いたいと思います。
あなた方が昨晩くださった素晴らしい時に心から感謝しています。チラシの裏にEメールアドレスを見つけて、黙っていることができませんでした。本当に素晴らしかった、有難う!」


第8回 船劇場での実験――自らを再生する作業 に続く

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