2011年11月14日月曜日

再生作業としての演劇行為 その8

第8回 船劇場での実験――自らを再生する作業

いかに身体性を取り戻すかという理由で仮面を使い始め、古い物語を読み直し、今に再生させる――こうした作業を私は続けてきました。そして演劇は空間表現であり、稽古場、劇場が、その作品の内容と大きくかかわりを持ちます。その一つの実験として、私達は船の劇場で稽古し、公演を続けてきました。船という場所だからこそ、「小栗」のような作品が作れたのだと思います。近代劇場は確かに便利ですし、観客も見やすいとは思います。そういう意味では非常に合理的にできています。擬似空間、擬似の闇を作り出し、光をあてて明るくしたり暗くしたり、夜になったりするといったことでは非常に発達してきています。でも、場が持っている歴史性とか、一つの不思議さとか、力といったものは、もう近代劇場にはないのです。場としての力はありません。
木造船の中の劇場を胎内空間だと言った人がいます。そこは旅立ちなどいろいろなイメージを私達は持つことができ、日常から離れ、劇を体験するにはとても理想的な場所です。しかし現在は、行政から係留の許可がもらえず、劇場としては機能していませんが、稽古場として使っています。
そこで何をしたかったかというと、それはタイトルにもありますように「物語を再生する」こと。この物語を再生するということはどういうことなのか――これは自らが再生する作業であったと、私は思っています。自分たちがどのように演劇を通じて再生するのか。演劇をどこかに売るとか、演劇によってスターを作るとかといったことにはほとんど無縁の仕事なのですが、その中で見る観客、それから私たち自身が、物語の中で仮面を借りて再生をしていくという、一つの実験でもあるし、その過程でもあると考えて、自分なりに作品を作ってきました。
身体の再生の為の仮面、そして物語、船劇場――これが私が考え、実践してきた私達の演劇活動です。では本日の話はここで終わります。

  こちらにあります仮面を、ぜひ手にとって見、顔につけてみて下さい。
鏡も二つ用意してあります。
  ぜひ仮面をつけた自分を見て下さい。

(二〇〇五・四・一五 北方文化フォーラムより)
再生作業としての演劇行為(終)

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